久しぶりにBloggerを開いた。
開いたとはいえ、何を書こうか決めてはいない。
そうだなぁ…
そういえば、いろんな人に気に入ってもらえたツィートがあった。
裏の裏は表じゃない。一度裏を経験しているからだ。
0°と360°は違う。時間が経っているからだ。
たとえ振り出しに戻ったとしても、そこに至るまでの経験や時間は、誰にも奪えないはずだ。
こんな感じだった。
これは自分に言い聞かせた言葉だ。
「自分が何を成し遂げたか。」
成功なり、達成なり、結果を求められる。
確かにそうなのかもしれない。
しかし、それは社会的な判断基準であって、個人的判断とは一線を画するものであるはずだ。
「自分は何を成し遂げたか」より、むしろ「自分は如何に生きたか」を問いたい。
エーリッヒ・フロムの考えと照らし合わせてみよう。
「あなたは何ができるの?」という質問は、前者だ。「~する」からのアプローチだ。
他方後者は、「そんなあなたはどんな人なの?誰なの?」を問うている。
これは「~である」からのアプローチだ。
「~する」と「~である」は、どちらが先だろうか?
「~である」に決まっている。
そう答えたくなったが、よくよく考えてみると、そうとも言えない。
もう少し具体的に考えてみる。
目の前にコップがある。私はそれを見ている。
そういう状況を思い浮かべてみる。
「私がある。だからコップが見える」
普通はそう考えるだろう。
ただ、もしこれが逆だったらどうだろう?
つまり、「コップを見ている。だから私がある」という風に考えてみるということだ。
認識が先か、対象が先か?
前者と後者では、それがひっくりかえっている。
カントのコペルニクス的転回。それが後者だ。
どちらが正しいのか、それはここでは問題にしない。
ここで言いたいのは、「~する」と「~である」は、循環しているのではないかということだ。
いよいよ、自分でも何が言いたいのかわからなくなってきた。
もうこれで終わりにしよう。
2009年1月18日日曜日
2009年1月2日金曜日
2008年11月15日土曜日
目的は大学ではなく、働くこと。
進学教育とキャリア教育がコネクトするのは間近であると思う。
理由は二つ。
少子化によって、教育業界は市場を開拓しなければならない。
しかし、学習塾といえば基本的に大学受験以上のサービスは提供しない。
よって、大学受験こそがサービスの上限であり、天井である。現在のままではこれ以上にはなれない。
よって、これを取り外す必要がある。
フリーターやニート問題は、キャリア教育の欠落であると考える人もいる。
働くことにたいして、若者は意識が薄くなっている。
キャリア教育と進学教育は蜜に繋がっているはずだが、もはや大半が大学に入学する現在、大学→就職というレールが出来上がっている。今後は、このレールを生かす必要がある。
大学に入ってから、将来を決めるのは遅い。なぜなら、文理系は既に定まっており、進路は必然的に狭まってくる。「とりあえず大学」は「とりあえず就職」を生み出し、雇用のミスマッチを生み出すのだ。
入学前から将来の目標を定め、それに即した学校を選ぶというのは、今後ますます重要になってくるだろう。そのため、進学指導を含めたキャリア教育は既に高校生、中学生、小学生の段階から実施されるべきである。より良いキャリア教育を求める親は、学校だけではなく、塾にもキャリア教育を期待するのではないか。
理由は二つ。
少子化によって、教育業界は市場を開拓しなければならない。
しかし、学習塾といえば基本的に大学受験以上のサービスは提供しない。
よって、大学受験こそがサービスの上限であり、天井である。現在のままではこれ以上にはなれない。
よって、これを取り外す必要がある。
フリーターやニート問題は、キャリア教育の欠落であると考える人もいる。
働くことにたいして、若者は意識が薄くなっている。
キャリア教育と進学教育は蜜に繋がっているはずだが、もはや大半が大学に入学する現在、大学→就職というレールが出来上がっている。今後は、このレールを生かす必要がある。
大学に入ってから、将来を決めるのは遅い。なぜなら、文理系は既に定まっており、進路は必然的に狭まってくる。「とりあえず大学」は「とりあえず就職」を生み出し、雇用のミスマッチを生み出すのだ。
入学前から将来の目標を定め、それに即した学校を選ぶというのは、今後ますます重要になってくるだろう。そのため、進学指導を含めたキャリア教育は既に高校生、中学生、小学生の段階から実施されるべきである。より良いキャリア教育を求める親は、学校だけではなく、塾にもキャリア教育を期待するのではないか。
2008年11月8日土曜日
愛しさも、切なさも、心強さも、欲しいよ。
「鬼ごっこで? 4階から中1転落死」について。
保護者、メディアの対応がどうなるのか、注目。
前回のパン無茶食い「事件」のように、誰かが血祭りに上げられるのか。
それとも、今回は「事故」としてメディアは処理するのか。
机の上に載って、バランスを崩して、窓の外に落下したようです。
まさか、「何故もっと頑丈な机を設計しなかったんだ!」って、学習机の業者が訴えられたりして…
保護者、メディアの対応がどうなるのか、注目。
前回のパン無茶食い「事件」のように、誰かが血祭りに上げられるのか。
それとも、今回は「事故」としてメディアは処理するのか。
机の上に載って、バランスを崩して、窓の外に落下したようです。
まさか、「何故もっと頑丈な机を設計しなかったんだ!」って、学習机の業者が訴えられたりして…
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