2011年12月18日日曜日

さて何を書こう?

久しぶりにBloggerを開いた。
開いたとはいえ、何を書こうか決めてはいない。
そうだなぁ…

そういえば、いろんな人に気に入ってもらえたツィートがあった。



裏の裏は表じゃない。一度裏を経験しているからだ。
0°と360°は違う。時間が経っているからだ。
たとえ振り出しに戻ったとしても、そこに至るまでの経験や時間は、誰にも奪えないはずだ。



こんな感じだった。
これは自分に言い聞かせた言葉だ。

「自分が何を成し遂げたか。」
成功なり、達成なり、結果を求められる。
確かにそうなのかもしれない。
しかし、それは社会的な判断基準であって、個人的判断とは一線を画するものであるはずだ。
「自分は何を成し遂げたか」より、むしろ「自分は如何に生きたか」を問いたい。

エーリッヒ・フロムの考えと照らし合わせてみよう。

「あなたは何ができるの?」という質問は、前者だ。「~する」からのアプローチだ。
他方後者は、「そんなあなたはどんな人なの?誰なの?」を問うている。
これは「~である」からのアプローチだ。

「~する」と「~である」は、どちらが先だろうか?
「~である」に決まっている。
そう答えたくなったが、よくよく考えてみると、そうとも言えない。

もう少し具体的に考えてみる。
目の前にコップがある。私はそれを見ている。
そういう状況を思い浮かべてみる。
「私がある。だからコップが見える」
普通はそう考えるだろう。
ただ、もしこれが逆だったらどうだろう?
つまり、「コップを見ている。だから私がある」という風に考えてみるということだ。
認識が先か、対象が先か?
前者と後者では、それがひっくりかえっている。
カントのコペルニクス的転回。それが後者だ。

どちらが正しいのか、それはここでは問題にしない。
ここで言いたいのは、「~する」と「~である」は、循環しているのではないかということだ。

いよいよ、自分でも何が言いたいのかわからなくなってきた。

もうこれで終わりにしよう。

2009年1月18日日曜日

夏目漱石の脳味噌は,東大病院にホルマリン漬けされて,保存され続けているらしい。

彼は生涯,様々な人間模様をインクで書連ねてきたけれど,主人公は,原稿用紙の上に登場する前は,彼の頭の中だけの存在だった。
最近,日本の研究者たちが,ヒトが目で認識した視覚情報を,実際に映像化することに成功したらしい。
もしこの研究が発展して,ヒトが脳内に記銘した過去の記憶をもビジュアル化することができたならば,「坊ちゃん」のその後も,「明暗」の続きも出版されることがあるのかもしれない。

アインシュタインの脳も,スライスされて今現在もどこかに在るとか無いとか。

ルパンの強敵,マモーの出現も,近い。

2009年1月2日金曜日

自由へ。

解放されたい。許して欲しい。
どこまでが拒絶され,どこに入れば受容されうるのか。

何を求めている?何を見定めている?
生き方とは?人生とは?

建前と本音の狭間には空があって。
鉄のカタマリを食べた空間が広がっている。

何を気にしている?誰の視線を追っている?
フィールドを開放してくれ。
そして邪魔をしないでくれ。
正当はどこにある?正答はどこにある?


人を助けたいだけなのに。
なぜこんなにも障害がある?

2008年11月15日土曜日

NPO、社会企業。
すばらしいと思う。
「人の役に立たない会社なんてないんだよ」とよく言われたが、それはうそ。
なぜなら、利益が第一の目的だから。
社会の発展のため?? うそうそ。よく言えるよ、ホント。じゃあ別枠で慈善事業とかやる意味無いんじゃないの?もうすでに役立っているのだからさ。

その点、NPOや社会企業は、会社が持つ、「利益に暴走する」という癌を持っていない。
「そんなことしませんよ!」って、宣言してしまっているから。
あくまで、目的は社会に向けている。自分ではない。

全ての企業が、こんな風になればいいのに。

目的は大学ではなく、働くこと。

進学教育とキャリア教育がコネクトするのは間近であると思う。
理由は二つ。

少子化によって、教育業界は市場を開拓しなければならない。
しかし、学習塾といえば基本的に大学受験以上のサービスは提供しない。
よって、大学受験こそがサービスの上限であり、天井である。現在のままではこれ以上にはなれない。
よって、これを取り外す必要がある。

フリーターやニート問題は、キャリア教育の欠落であると考える人もいる。
働くことにたいして、若者は意識が薄くなっている。
キャリア教育と進学教育は蜜に繋がっているはずだが、もはや大半が大学に入学する現在、大学→就職というレールが出来上がっている。今後は、このレールを生かす必要がある。
大学に入ってから、将来を決めるのは遅い。なぜなら、文理系は既に定まっており、進路は必然的に狭まってくる。「とりあえず大学」は「とりあえず就職」を生み出し、雇用のミスマッチを生み出すのだ。

入学前から将来の目標を定め、それに即した学校を選ぶというのは、今後ますます重要になってくるだろう。そのため、進学指導を含めたキャリア教育は既に高校生、中学生、小学生の段階から実施されるべきである。より良いキャリア教育を求める親は、学校だけではなく、塾にもキャリア教育を期待するのではないか。

2008年11月8日土曜日

愛しさも、切なさも、心強さも、欲しいよ。

「鬼ごっこで? 4階から中1転落死」について。

保護者、メディアの対応がどうなるのか、注目。
前回のパン無茶食い「事件」のように、誰かが血祭りに上げられるのか。
それとも、今回は「事故」としてメディアは処理するのか。

机の上に載って、バランスを崩して、窓の外に落下したようです。
まさか、「何故もっと頑丈な机を設計しなかったんだ!」って、学習机の業者が訴えられたりして…

「熱湯欲」

「ネット情報の一貫性」について。

偏見かもしれないけれど、いわゆる「ネット右翼」の方々の意見は、一貫性や論理性に欠けるものが多いのかなぁと。

2chに代表されるような、書き込みネット情報は、「相互協力的な集合知」であると同時に「断片的な情報の集まり」とも解釈できるのかと思います。
例えば、「一人が書き上げた分厚い本」ではなく、「一人が1ページのみを担当した分厚い本」のような。

良い面もあると思いますが、一貫性や論理的な側面は、どうしても脆くなってしまうのかなぁと。

ガッツリ、一冊の本を読むのも、今でも学問の王道なのかもしれませんね。